新撰組の屯所 壬生村

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↑京都の壬生にある八木邸です。ここが新撰組が寝泊りしていたところ、今も当時そのままに残っています。当時この門に『壬生村浪士屯所』と看板を掲げては、沖田総司や原田左ノ助などの若い隊士は、看板をしみじみみて感激したといます。まあー家主の八木さんはかなり迷惑したそうです。今でも当時のまま、建物が残っているので、ファンがよく来ていました。建物は武家屋敷になっていて、鴨居は通常より低くなっています。建物内部の写真はとってはいけなかったのですが、私知らずにばしばし撮っていて、画像があるんですがやはり誠の文字をみると、気が引けるので添付するのはやめました。

ちなみに何で誠の文字を旗に記したかというと、近藤勇・土方などは農民出身で、武士よりも真の武士らしくなるという意味合いを含め、誠の文字を記したそうです。

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↑八木邸の隣接する壬生寺、新撰組はここで訓練をしてました。大河ドラマをやっていた時よりは、幾分ブームはすぎてますが、ファンはここを訪れますね。まだだんだら模様の羽織をきてファンと写真撮影をしていました。ちなみにこの羽織、実際に着ていたのは、一年間くらいしか着られていないようです。派手なので。デザインは忠臣蔵の赤穂浪士のような立派な武士になりたいと思いが込められています。着始めの頃は、庶民にばかにされたようです。今じゃー結構いい値段するのに。ほしーな。


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↑壬生寺の中にある、近藤勇像。

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↑同じく壬生寺にある墓石。芹沢鴨とかありますが、これは隊士の河合きさぶろうの墓石。彼は勘定方という職務についていて、(用は金管理)なんと帳簿の不始末で切腹させられてしまった。江戸末期になると切腹は、腹を切る格好だけで、介錯人がすばやく首を落とすやりかただったのですが、新撰組の場合は本当に腹を切った。きゃーーー武士にとっては名誉の事ですが、今じゃ考えられないっすね。この墓は怒った河合の親族が、腹いせにたてたそうです。ちゃんと手をあわせてきました。
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by nishidaiku | 2006-06-17 19:05 | 幕末とか歴史
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