会津戦争のその後

会津城から少し歩いたところに、会津戦争の終結場所がありました。
一ヶ月篭城したあと、降参旗をかかげて、会津の敗北となりました。この場所で会津藩主 松平容保が降伏書に調印した場所でした。

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後に会津の人たちは極寒の青森移住命令がでて、厳しい日々をすごしたそうです。それから数年たって、命令もとかれ会津に戻る人もいれば、他に行く人もいたそうです。

一方会津藩主 松平容保は鳥取藩に預けられ、東京に移されて蟄居いました。容保はそれからまもなく蟄居を許され、日光東照宮の宮司となりました。享年59。禁門の変での働きを孝明天皇から認められ賜った物を、彼はそれらを小さな竹筒に入れて首にかけ、死ぬまで手放すことはなかったという。また幕末維新については周囲に何も語ることはなかったようです。

昭和に入り、松平家親族と皇族が結婚して、朝敵の汚名がきせられた、会津藩の名誉が挽回されたことを意味してたんじゃないですかね。
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by nishidaiku | 2007-02-08 22:35 | 幕末とか歴史
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わたくしのお気に♪


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