ならぬものは、ならぬものです。

今の教育にこそ、必要であるものもあれば、そうでないものもありますが、学ぶということは大事なことだということです。

白虎隊は明治維新という大きな 時代のながれの中で、ふるさと、会津をまもるという、純粋な気持ちで戦場におもむいた、16、17歳の少年たちの悲劇が今に伝えられているものです。

会津藩士の子供は、10才になると「日新館」への入学が義務づけられ、その以前、6才頃から子供達には藩士としての心得が繰り返し教え込まれました。それが有名な「什の掟」です。

一 年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二 年長者にはお辞儀をしなけれはばなりませぬ
三 虚言を言うことはなりませぬ
四 卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五 弱い者をいぢめてはなりませぬ
六 戸外で物を食べてはなりませぬ
七 戸外で婦人(女性)と言葉を交えてはなりませぬ

ならぬものはならぬものです。

b0080053_22105259.jpg

(日新館の門です、生徒はこの門は通れず、裏の門から入ったそうです。藩主のみが通れたみたいです)

b0080053_22122536.jpg


1、白虎隊(びゃっこたい):17歳以下15歳まで
b0080053_22225767.jpg


戦争がはじまると、学校はとざされたので、毎日生徒たちは調練場ではげしい、訓練をつづけていました。

  けれども、新政府軍が国境に迫ると聞いては、さすがに少年たちもじっとしていることができません。自分たちの生まれ育ったこの美しい会津の土地を戦火にあらされないように、自分たちの手で守りぬこうと出陣の嘆願書を軍事奉行である家老の萱野権兵衛にさしだしてお願いをしました。
 
b0080053_22231229.jpg

(新堀の洞門)

戦いの中敗走して、新政府軍をさけながら新堀の洞門をくぐりぬけ、やっとのことで飯盛山の中腹にある、厳島神社の境内までたどりつきました。
 
城の方からはさかんに砲声がきこえてきます。少年達は疲れた足をひきずりながら、新堀に沿って歩きました。しばらくいくと、飯盛山の中腹に松林があって、みはらしのきく場所をみつけたので少年たちは新堀をわたってそこによじのぼりました。

b0080053_22232860.jpg

(19人の少年達が、この場所で短い生涯を終えました・・・) 

 体験したことのない凄まじい戦闘と、敗走、睡眠不足と少年たちは疲れ切っていました。
 そして、高台からみた鶴ヶ城は黒い煙につつまれ、五層の天守閣の白壁には赤い炎が燃えさかっているようにみえました。また、ほんど火の海となった城下からは、絶え間なく砲声と銃声がとどろいています。
 少年たちは予想もしなかった この光景に思わず息をのみました。命とたのむ鶴ヶ城も もはや、落城の運命かと思うと全身の力が一度に抜けていってしまうような悲しさが、少年たちの胸にこみ上げてきました。
 
「城を枕に討ち死にするつもりでここまできたが、もうお城へ入ることはできない。すべてはおわったのだ。」
 一人がこういってがっくり首をたれました。
すると傷ついた一人がいいました。
「このままぐずぐずしていれば、敵の手にかかって後の世までも恥じをさらすようなことになるぞ」
「そうだ、最後まで会津の武士らしく、いさぎよく、みんなここで切腹しよう。」
 こうして、少年たちは、遥かにお城をのぞむといずまいをただし一礼してから自刃しました。

b0080053_22234372.jpg

このような事を学ぶと、死という事を考えさせられます。
会っていない友達などは元気にしているのかとか、そうゆうしみじみ考えられる時間をつくってくれます。
[PR]

by nishidaiku | 2007-04-24 22:24 | 幕末とか歴史
line

わたくしのお気に♪


by nishidaiku
line
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30