ルーツ

1702年12月 赤穂事件
主君に代わって吉良上野介を討ち果たし、その首を泉岳寺の主君の墓前に捧げたのち、幕命により切腹したという事件。いろいろ独学で調べていると、細川家家臣 吉田孫四郎という人物なんですが、どうも血がつながっているような気がしていて、そんな思いを持ちながら現地を訪ねてみました。

 都営三田線・白金高輪駅から徒歩数分のところに、熊本細川家の白金下屋敷ありました。今はマンションの一角に屋敷はありませんが、旧細川邸として門だけあります。(当時のではないと思うけど)
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 47名はその後4つの大名の江戸屋敷に分散されて身柄を移し、大石内蔵助以下17名が、熊本藩細川邸に身を預けていました。この時の殿様(細川 綱利)は手厚く彼らをもてなしたそうです。他の藩よりはるかに待遇がいい事もあり、そんなエピソードが多々残っています。
 
 殿様は義士たちを一目みたいと到着を待ちわびて寝ずに待っていて、17名の到着後、すぐに綱利自らが出てきて大石内蔵助と対面。さらに殿様はすぐに義士達に料理、お菓子、お茶などを出すように命じる。後日にはお酒やたばこも振舞い、さらに預かり人の部屋とは思えぬ庭に面した部屋を義士達に与えた。毎日の料理もすべてが御馳走であったとか。
 殿様は義士達にすっかり感銘しており、幕府に助命を嘆願し、もしも助命があれば預かっている者全員をそのまま細川家で召抱えたい希望まで出したり・・・
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 そんな思いもむなしく、幕府は赤穂浪士たちを切腹させることになりました。切腹に当たっても殿様は「軽き者の介錯では義士達に対して無礼である」と大石内蔵助は重臣の安場一平に介錯をさせ、それ以外の者たちも小姓組から介錯人を選んだそうです。
 話は戻りますが、この小姓組に吉田孫四郎が出てきます。多分普段は殿様警護などしてたんですかね・・・ちなみに大石瀬左衛門の介錯を務める。

 幕府より義士達の血で染まった庭を清めるための使者が訪れた際も「彼らは細川家の守り神である」として断り、家臣達にも庭を終世そのままで残すように命じたともいわれているそうです。

 意外にも熊本藩と赤穂浪士は深い関係があり、接待役をつとめた堀内伝右衛門は熊本県山鹿市に遺髪を持ち帰り、今では赤穂市と姉妹都市となっているようで・・・

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近くに赤穂浪士が眠る、泉岳寺にお線香をあげてきました。
今思えば旧藩邸に着いた直後、突然降った雨、不思議な雨に思えます。
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by nishidaiku | 2008-07-03 22:26 | 熊本県
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