カテゴリ:日本の城( 8 )


上田城

満開の桜が咲く頃、信州上田城に登城してました。
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駅前にある真田信繁(でも真田幸村と読んだほうがピンとくる)の像。
真田幸村知識
●徳川に挑む天才軍師 
●柔和で辛抱強く、物静かで怒る様なことは無い
●旗印である六文銭(もくもんせん)は、亡くなった人を葬る時、棺に入れる六文の銭の事で、三途の川の渡し賃のことである。これを旗印にすることは「不惜身命」(ふしゃくしんみょう:仏法のために身命をささげて惜しまないこと)を意味するといわれている。
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この上田城、幕末の頃には櫓が7基あり、現在は3基しかなく復元しようと募金中みたいです。
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戦国時代ここ上田城で徳川軍を2度撃退している。
その後大阪夏の陣で最後を迎える。最後はわずか兵で大群の徳川軍に立ち向かう。徳川家康だけを目指し突撃するも、あとわずかなところで息絶える。
そんな男らしさか武士らしさか、敵将からも賞賛される。
数いる戦国武将でも人気が高い人です。
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城入り口にある真田石とよばれるもの。
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とにもかくにも満開の桜とお城のコラボが綺麗でした。
そういえば一番みてみたい姫路城が秋にも平成の大工事で5年間みれなくなるようで気になってます。
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by nishidaiku | 2009-05-29 00:25 | 日本の城

江戸城

大都会の中の異空間。かつて5層の天守閣があった江戸城及び千代田城。
1657年(明暦3年) 明暦の大火により五層の天守閣を含めた城構の多くを焼失。町の復興や経済的な理由を優先し、現在まで天守閣は二度と再建されていない。徳川家康が入城する前は、質素なつくりだったようですが、その後増築。
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桜田門 重要文化財  大老井伊直助が暗殺された、有名な桜田門外の変。 
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皇居正門石橋と伏見櫓
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桜田巽櫓
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by nishidaiku | 2009-04-30 23:24 | 日本の城

まずは

神奈川県の高校は13年度から日本史が必修科目になるそうです。昔だったらめんど~だろとかおもってたかもしれませんが、今だったら受けてみたい気がします。

まずは日本の名城という本を購入。まずはコツコツ行きたいとおもいます。
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by nishidaiku | 2008-02-15 21:32 | 日本の城

国宝 松本城

ずいぶんと前に長野県にある松本城に登城しました。
いざ城を撮ろうとすると、デジカメの電池が切れる。(怒) くしくも携帯で撮る。
白いたたずまいの城もいいですが、黒もまたひとしお!
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小雨が降って霧がかった神秘的な城も美しく感動しました。
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加藤清正が松本城に立ち寄った際、城主石川康長が二頭の馬のうち良いほうを譲ろうといったところ、清正はどちらもすばらしい馬なので、決めかねると二頭とも貰い受け、その時に馬をつないだのがこの桜の木だと伝えられているそうです。清正の予想外の受け答えも人間の器が大きさを感じました。
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多分普通1時間くらいで見学するところを、私は4時間城の中にいました。進んでは戻りを繰り返しながら興奮し、建造物をじっくりみたり、骨董品をみたり、御侍を想像したりと城を出る頃にはすっかり晴れてました。いやいや最高だったね国宝 松本城

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↓明治時代 傾いた時の松本城もちょっとのせときます。
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また日本の城をコツコツ登城したいと思います。

ライブ松本城
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by nishidaiku | 2008-02-13 22:47 | 日本の城

小田原城


上杉謙信も武田信玄も落とせなかった、相模の覇者北条氏の居城。
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たいていのヒトは、城をみてもなんとも思わないと思いますが、近年ソレガシは、城をみるとなぜか、感情が高ぶります。

城に入って見学したかったのですが、団体行動だったので、写真だけとらしてくれとゴリ押し。
ヒトを待たせているので、園内をダッシュで写真をとってきました。こうやってコツコツ城巡りをしていますが、城の数ですが資料によりますと、昔の広義の城は全国におよそ25000城あり,それらの中で城郭とみなされているものが戦国末から江戸初期まで大小3000ほどあったようです。
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簡単に言うと25000とか、きりが無いので・・・ムリなので、本物の天守が現存しているお城を目指しつつ行きたいと思います。

本物の天守が現存する城は、
国   宝の松本城・犬山城・彦根城・姫路城

重要文化財の弘前城・丸岡城・備中松山城・松江城・丸亀城・高知城・松山城・ 宇和島城の12城 のみ
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by nishidaiku | 2007-09-13 23:40 | 日本の城

高島城

長野県の諏訪市にある高島城。 武田信玄の側室、由布姫ゆかりの地であります。
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高島城は諏訪湖に浮かぶ「浮城」といわれている。
現在の本丸には3層の天守閣があり、二の丸跡は庭園となって
いて、眼下には諏訪湖が広がり、遠く、富士山・八ヶ岳・穂高槍を遠望できます。

平城としては、国内最高の海抜(約760メ-トル)。

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明治四年(1871年)、廃藩置県によって城郭の撤去が決定し、明治八年(1875年)には天守閣の撤去が終了。翌明治九年に本丸跡が高島公園として一般に開放された。

昭和四十五年(1970年)には天守閣が復興とのこと。

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by nishidaiku | 2007-05-29 22:35 | 日本の城

会津若松城 またの名を 鶴ヶ城

会津若松駅から10分位車を走らせたところに、会津若松城があります。鶴ヶ城は、約600年の歴史があり、7家の歴代藩主を経て、この会津を見守っていた高さ36mお城であります。
藩主で有名どころは、伊達政宗や松平家でしょうか!特に今回感じたいのは、白虎隊の悲運な話などなど。幕末の時期。
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↓東側より入る戦略的な橋。敵兵が押し寄せてきたら、橋を切り落とせるようです。
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↓美しく雄大な、日本建築もすてたもんではない。雪がつもった城も芸術的になりそうです。
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現在の会津若松城は復元です。中は写真はとれませんが、天守閣から撮影できました。城の中に、藩主の一日みたいのもあり、なかなか忙しい毎日だったようです。


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↑自画自賛
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戊辰戦争の時、会津は孤立し山に囲まれている為、16ある峠をすべて守らなければならなかったが、新政府軍の武器、多勢におされ敗走せざるえなく、新撰組の土方・齋藤一もあえなく敗走し、土方は援軍を求め会津を離れています。一方の齋藤一は会津に残り戦います。齋藤さんの語り『いま落城しようとしているのをみて、会津を捨てるのは正義ではない、私は新撰組の隊名とともに、ここで死ぬつもりだ』

会津の人達は性格が真面目で品格があり、忠義を守ることが、どの藩よりも強い気がします。武士以外の百姓・農民も女性も会津を守ろうと戦って、多くの犠牲をだしました。白虎隊、西郷家、の悲運の話も、胸がいたくなります。

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当時の写真。最後は一ヶ月間 篭城戦になり、一日2000発の大砲がうたれ、城がぼろぼろです。

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当時の藩主松平容保(28歳位)。新撰組、白虎隊の名付けの親。京都守護職という大変な悪いくじも、会津の誇りと家訓の為、引き受けてしまうほどの生真面目。


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左の鉄門のところで、松平容保は指揮をとっていました。
今でこそ戦争はノーですが、当時の会津は賊軍の汚名を無理やりきせられ、戦う道しかなかった状況におかれていました。会津の誇りだけを胸に戦っていたような気がします。本当の正義は会津にあります。今からたったの150年前の話ですが、会津の精神は惹きつけるものがありました。

んー文面て難しい
言いたいことが6割くらいしかいえてない。
そーだとしても
この機能はいい。
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by nishidaiku | 2007-02-08 00:08 | 日本の城

熊本城

天正15年(1587年)、豊臣秀吉の命をうけ、肥後の半国、およそ25万石を与えられ、熊本城を居城とした。今風に言えば、熊本県庁ですかね。熊本城をたてたのは、加藤清正!
加藤清正といえば戦国武将という印象が強いが、実際は卓越した行政手腕の持ち主であったようです。 水路を作ったりと、住民達からは好評だったようです。

加藤清正についていくつか紹介。
 6尺3寸(約191cm)の大男だったと言われますが、実は5尺3寸(約161cm)にも満たない身長であったとか、かぶる兜を長くして全体像を高く見せる事によって、相手に威圧感を与えようとしていたという説もあるようです。
 かなりの潔癖症であり、便所で用を足す際は30cmの高さもある下駄を履いてたそうです。
 
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加藤清正は口が大きく、口の中に拳を入れる事ができたという逸話がある。その話を聞いた新選組局長・近藤勇も憧れていた清正にあやかり、真似をして拳を口に入れていたという。そしたら見事に中に入った。喜んだ近藤は、部下の島田魁を呼び、実際にやってみせるとうれしそうに言った。『自分も清正公のように出世したいものだ』島田魁が維新後に語り残した話。

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熊本城は西南戦争で燃えてます。これは最近たてた復元です。日本の中で復元してない城は、姫路城しかなく、一度は行って見たい城です。
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姫がのっていた箱。

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天守閣より熊本を一望でき、いい眺めです。
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↑熊本城は西南戦争で燃えましたが、一部だけ燃えなかったのがここだけです。

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加藤家は2代。 その後継いだのが、細川家14代まで続き、明治維新で江戸幕府が政権を返上。
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by nishidaiku | 2006-11-25 00:19 | 日本の城
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わたくしのお気に♪


by nishidaiku
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